
農園主ジャン ピエールのお父さんが、ベルギー植民地時代の1950年頃、一族が所有していたルバブ県キグフィの農園にコーヒーを植えました。しかし、1959年フツ族による最初の虐殺が始まり、ツチ族の彼の一家はルワンダがベルギーから独立した1962年にコンゴ民主共和国に逃げ難民となりました。その後ウガンダに移り最終的にケニアに落ち着きました。

世界的に報道された大虐殺が起きたのは1994年ですが、その後実権を掌握した現政権が、治安回復と維持に務めようやくルワンダにも平和が訪れました。ジャン ピエールも、一族の土地を時々チェックしに訪れることができるようになりましたが、農園は荒れ果てて近隣の小農家が勝手に自給用の豆を栽培していたそうです。ついにジャン ピエールは、帰国してこの農園を再建する決心をして、1999年12月に再びコーヒー園として、実に40年ぶりに復活させたのです。悲しい歴史を引きずっていても、彼は生まれ育ったルワンダの美しい景色と人々が忘れられなかったのです。

この地域の自然環境が大好きだった彼は、有機栽培にこだわりました。コーヒーチェリーの果皮と近隣のビール工場から出る搾りかすを混ぜて、独自の有機肥料を使っています。