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アメリカ合衆国 ハワイ

コナ グリーンウェル農園

ハワイ コナでは、一日昼夜の寒暖差が大きく、ゆっくりと実が熟すため高密度のコーヒーが穫れます。名園グリーンウェル農園の中でも環境に恵まれた畑が特級畑Jeni Kです。最終精選では、ハワイでは通常行わないハンドソーティングを我々スタッフが行い厳選しています。農園主であるトミーと、今までにない最高のコナコーヒーを目指して作り上げた逸品です。

【風味の傾向】
上質なナッツの風味。濃厚な甘みが豊かなボディを生み出す。なめらかな口当たりと最後まで続く甘みに魅了される。
生豆生産国:アメリカ合衆国 ハワイ
生豆産地:ハワイ州 ハワイ島 コナ
農園:グリーンウェル
セクション:ジェニー ケイ
農園主:トム グリーンウェル
標高:570m
栽培品種:アラビカ種 ティピカ
サイズ:スクリーン 19

味、香りの特徴

2013年度

ひと口目で感じる甘さが最後まで途切れずにご堪能いただけるリッチな味わい。マカダミアナッツのようなアロマと濃厚な甘みに、豊かなボディとまろやかな舌触りが重なる。後味に感じるほのかで上品な酸味は、これまでのコナ・コーヒーの常識を覆すことでしょう。

2014年度

マカダミアナッツのようなアロマと濃厚な甘み、リッチなボディとまろやかな舌触り。後味まで甘みが持続する。

2015年度

アーモンド、黒糖の風味とみずみずしい酸味。滑らかな口当たりと濃厚な甘みが豊かなボディを生み出す。一口でその圧倒的な甘みに魅了される。

2016年度

濃厚な甘み。アーモンドを思わせる香ばしさ。甘みに隠れた柑橘系の優しい酸味を持つ。長く続くフルボディで滑らかな余韻。

2017年度

マカダミアナッツのアロマと濃厚な甘み。トロピカルフルーツのような瑞々しく柔らかい酸。フルボディで、余韻にほのかなジンジャーの香り。

2018年度

黒糖の落ち着いた風味の中に、ジンジャーや白い花の香りを感じる。酸は柑橘。ほのかなクルミやマカダミアナッツ。強いが粗くは無く、透き通った余韻は夕暮れの湖畔を思わせるアフター。

2019年度

黒糖の香ばしいアロマ、マシュマロのような口どけ感と甘み、優しさに包まれた酸。口当たりはまろやかで、質感と味わいのバランスは例年に無い仕上がり。

2020年度

八朔をイメージさせるような瑞々しく爽快な酸は、絹のような口当たりを纏いつつ、優しくも濃厚な甘みへ移行していく。水紋のように静かな広がりを見せる甘さは、葉擦れが聴こえるかのような植物様の香りと共に、いつまでも響き続ける。

2021年度

柑橘類を彷彿とさせる爽やかさと和菓子を思わせる複雑で濃厚な風味、シルクのような滑らかで上品な口当たりは最高品質のコナであることの証明。時の流れによって色褪せることなく、同時に様々な表情が見え、マスカットやライムのような色調が新たな彩りを与えてくれる。

グリーンウェル農園について



1850年にヘンリー ニコラス グリーンウェルが、イギリスからコナの地に移住しコーヒー栽培を開始。僕が三代目のノーマン グリーンウェルと知り合ったのは1989年。コーヒー園の他に牧場も経営していたノーマンは、いかついカウボーイのような大柄の男でした。しかし、実際はジョークを連発する楽しいおじいさんで、僕をとても可愛がってくれ、コナの生産者を数多く紹介してくれました。次男のトミーがノーマンと一緒に働いていましたが、二人で新しいことに意欲的に取り組む篤農家でした。

1992年、僕がアメリカ本土を旅行中に、ノーマンが病気で急逝したと連絡を受けた時はとてもショックを受けました。

その後、トミーと一緒にHawaii Coffee Association(HCA ハワイコーヒー協会)とHawaii Coffee Growers Association(HCGA ハワイコーヒー生産者協会)を設立、その活動は2003年に日本に帰国するまで続きました。



ミカフェートを興し、グラン クリュ カフェに着手した時から、いつかコナでかつて存在しなかったようなすごいコーヒーを作りたい、しかしそれを一緒にできるのはトミーしかいないと考えていました。グラン クリュ カフェの厳しい基準を理解し妥協しない品質へのこだわりと、またそれを実現できる特級畑を持っている生産者は、コナでは彼しかいないと思っていたからです。

トミーと一緒に最高級のコナコーヒー作りを始めたのは、2009年。彼の農園をくまなくチェックし、標高570mの高台に特級畑の候補を見つけました。そしてここに植えるのは、彼が優勢種同士を掛けあわせて作ったティピカ。これには、彼の奥さんの愛称Jeni Kという名が付けられました。そして特級畑の名前もJeni Kとなりました。

日系人とコナコーヒー

今でこそハワイ土産で有名になり、日本でもよく知られたハワイのコナコーヒーですが、僕がハワイ島コナに赴任した当時は衰退の一途を辿っていました。

ハワイのコーヒー栽培の歴史は古く、1820年代に遡ります。一時は、ハワイのどの島でも盛んに栽培されたコーヒーですが、サトウキビがそれに取って代わりました。しかし平地が少なく溶岩が多いコナでは、そのままコーヒー栽培が残ったのです。コナコーヒー栽培を担ったのは、19世紀に入植した日本人移住者達。その後世界的にコーヒーの需要が増え、一家総出で収穫や精選に携わり、コナだけは学校もコーヒーの収穫に合わせて学期が組まれる程の産業に成長しました。

しかし1929年におきた世界大恐慌で市場がなくなり、これがコナコーヒーにとって最初の試練でしたが、その後世界のコーヒー消費も徐々に戻る兆しをみせ、第二次世界大戦が始まるとアメリカ軍が大量に仕入れるようになり、生産者も息を吹き返していきました。


第二次世界大戦後、世界的にコーヒーの需要が増え、戦争からコナに帰還した日系人の若者が家業のコーヒー栽培を継承し、二つの日系の協同組合も結成され、最盛期には15万袋(45kg/袋)ものコーヒーを生産。しかしまだ当時は、コナコーヒーはニューヨークの国際市場の価格に左右され、その不安定さで専業農家だけの収入ではやっていけず、兼業農家が増えていきました。

1959年には、ハワイが準州からアメリカ合衆国50番目の州に制定され、最低賃金もアメリカ合衆国並になり、折からの観光ブームで労働力が流れて行き、更に追い打ちを掛けるようにマカダミアナッツがハワイのお土産の定番になり、手間がコーヒーほど掛からないマカダミアに畑が変わっていったことも衰退の原因の一つでした。

僕が、農園開発の為に初めてコナを訪れたのは、1988年の夏。この頃既にコナコーヒーはニューヨーク市場に連動しない価格で取引されていましたが、知名度が低いのに価格の高いコナコーヒーの市場は非常に限られ、生産量も1万5千袋まで落ち込んでいました。買付けのために生産者を訪ねて回りましたが、若い人は皆無で専業農家は一軒のみ。師弟の教育に熱心な日系人は苦労して子供たちをアメリカ本土の大学まで送り出すものの、子供たちは卒業しても就職先の選択肢の少ないハワイに帰らず、多くが本土に残ったのです。


新しい生産者

1990年に入るとアメリカでも品質のよいコーヒーを飲む風潮が生まれ、再びコナコーヒーの需要が高まります。アメリカ人にとっても、自国で採れたコーヒーという誇りもあったのでしょう。そしてアメリカ本土から、コーヒー栽培を目的にする人達がハワイへ押し寄せるようになったのです。

コナコーヒーの生産者の顔ぶれは、一攫千金を狙って日系人から土地を買ったり借りたりしてコーヒー栽培を始める人や、最初から税金対策が目的で大規模農園開発を始める成金に変わっていきました。

しかし実際コーヒー栽培を始めると、その作業の大変さと思ったほど儲からないことが分かり引き上げる人や、他の産地からコーヒーを仕入れてコナコーヒーとして販売したり、コナコーヒーと名乗れない低級品を焙煎して誤魔化してお土産用に売ったりする輩が増えてしまいました。彼等は、短期間に儲けて逃げてしまい、コナのブランドの将来などまったく考えていなかったのです。


おいしいコーヒーができるまで

数年前に害虫CBB(コーヒー ベリー ボアラー)が他の産地から入り込み、コナ地域でもその存在が確認されました。CBBはコーヒーの実に穴を空ける害虫で、コーヒーの品質を大きく左右する原因の一つです。今年、CBBは猛威を振るいコナ地域の農家は壊滅的な被害を受けました。これにより、地域全体で大幅な減産と品質低下が見込まれています。しかしグリーンウェル農園は、日頃の管理がよい上に農薬の代わりに天敵や罠を使って徹底的に対処してきたため、全体の収穫量は減りましたが、今年もおいしく仕上がりました。


通常、収穫したコーヒーは、精選・脱殻後、サイズ選別、比重選別、色別選別、ハンドソーティング(手選別)されて出荷されますが、コナでは比重選別までしかしません。ミカフェートのGrand Cru Caféの規格は、ハンドソーティングが絶対条件。ところが、コナにはこの作業ができる熟練作業員がいません。



特級畑のJeni Kで出来たエクストラ・ファンシー(最上級品)は、一般流通品としては十分な品質ですが、ミカフェートではその豆からさらに人の手で欠点豆を取り除くハンドソーティングを行って厳選するため、毎年ミカフェートのスタッフが渡航。厳選された特級品の品質を維持するため、全量飛行機で成田空港まで空輸しています。厳選の上に厳選された極上のコナコーヒーを、ぜひお楽しみください。
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